2007年5月23日水曜日

朝のご挨拶

 今朝、昨日の告別式を終えて、小泉さんのご家族がお参詣くださり、ご長男、ご長女、お孫さんまでがお控えの間までお見えになり、丁寧なご挨拶をいただいた。
 多くの参列者が涙した。別れを惜しんでおられた。小泉さんはママさんソフト・ボールの監督をされていた。あの人柄だから、多くの人に慕われていた。それを、お通夜と告別式であらためて感じた。
 1000人のご信者さんがいれば、1000人の老い、病、死に立ち会わなければならないのが私たち教務だ。一人一人に思い出があり、一人一人の人生を真っ正面から見据えていると、居たたまれなくなる気持ちもある。今回は、特にそうしたお別れとなった。
 ただ、ご家族はご信心の功徳を実感して、お父さんをしっかりと見送って下された。何より、お父さまが喜んでおられるだろう。誰にでも、どの家族にも出来るものではない。いまや、両親のお葬式すら面倒だから出したくないという家庭が多いのだ。現実、家族すら引き取らず、役所で火葬にふされてしまったという方々の話は絶えない。そういう時代だ。
 小泉さんは、亡くなられる数日前に、お助行(お見舞いと御祈願をかねてお宅に伺っていた)に行っていた私の姉の手を取り、「なに小泉さん、手を握りたいの(笑)」と言った姉に「いや、起こして」と言われて姉に合掌され、「今度の、ウチの嫁さん、ウチの嫁さんを頼みます。二人をよろしく頼みます」と二度も言われた。最後の最後まで、家族を思う、家族を愛したお父さんだった。はにかむような、照れるような微笑みのお父さんだった。
 お通夜、葬儀の日程は、愛知の立てこもり事件で殉職された林警部のお通夜と告別式に日程が重なった。そのお話も今朝のご挨拶の時に交わした。
 人は死を迎える。その死は三人称から二人称、一人称と迫ってくる。人はそれを選べない。家族が一つになり、本人を死を見据え、家族の祈りと本人の闘病から惜しまれての臨終。別の場所で、くだらない人間の愚かな犯罪によって、しかもいい加減な発砲の犠牲に倒れた素晴らしい人格の青年。何ということだろう。無常の世とは、本来私たちが想像する以上に厳しく、唐突なものなのだろうか。
 私たちが父の闘病を見守っている時、ある友人が「50年後には癌になりたいという人が出てくるかも知れない」と言った。その時は「父も苦しんでいるし、家族もこんなに辛いのに、なぜ」と思った。しかし、無常の世を見据えれば見据えるほど、その意味が少しづつ分かってくる。
 人は死を迎える。その死は自分では選べない。ただ、その無常の中で、私たちは何を家族に伝えられるだろう。残せるだろう。癌は恐ろしい病気だ。私もなりたくはない。本人だって、家族だってそうだ。ただ、林巡査部長の死を見て、私たちは無常の恐ろしさを知る。そう、他の理不尽な死を考えれば、家族が一つになり、御題目で御祈願をいただき、父が家族への愛を表明し、人生、生きること、死ぬこと、愛すること、家族、信仰を教える時間がゆっくりと過ぎていくこの病気を何と捉えたらいいのだろう。
 言葉にならない。ただ、言葉にしなければならない。
 人は、命を輝かすために生きている。
 「病は成仏の仲人」
 「菩薩の病は大悲より起こる」
 「衆生病む故に菩薩また病む」
これらの御仏の教えを、どのように汲み取れるか。
お祖師さまは、次のように御妙判くだされている。
「蓮華と申す花はかゝるいみじき徳ある花にて候へば、佛妙法にたとへ給へり。又人の死る事はやまひにはよらず。当時のゆき、つしま(壱岐対馬)のものどもは病なけれども、みなみなむこ(蒙古)人に一時にうちころされぬ。病あれば死べしといふ事不定也。又このやまひは佛の御はからひか。そのゆへは浄名経、涅槃経には、病ある人佛になるべきよしとかれて候。病によりて道心はをこり候歟。又一切の病の中には五逆罪と一闡提と謗法をこそ、おもき病とは佛はいたま(傷)せ給へ。」

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幸の湯、常さん、北九州

帰国後、成田空港から常さんの枕経へ直接向かいました。 穏やかな、安らかなお顔でした。こんなにハンサムだったかなと思いました。御題目を唱え、手を握り、ご挨拶できて、よかったです。とにかく、よかったです。 帰国して、そのまま伺うことがいいのか悩みました。海外のウイルスを万が一ご自宅へ...